四季の公演が珍しく熊本で1日だけあったので観に行った。
いつ見ても本当に演者の空間認識の高さに圧倒される。
今回の公演は、歌と踊りの公演であり、また地方公演であるため、普段使っている劇場とは舞台の広さなど、すべてが違うだろうに、立ち位置が5cm?3cm?ずれるとうまくいかないようなことを、20人ほどで踊りながら展開していく。
静と動を、自分たちの力でコントロールし表現するというのは、大変なことだと思う。
だからこそ、それを一体として表せたときは、例えようのない高揚感があるだろうな。
創る人も、そのイメージを完全に理解している演者も、バックグラウンドで支えるスタッフたちも本当に凄い。
今回は、本編が一つの物語、というわけでなく、それぞれのミュージカルの代表的な歌や踊りをピックアップして魅せるという公演だったので、衣装が完全なそのシーンオリジナルのものは少なかった。
なので、少しイメージがしづらい。
そういう意味では、衣装も、ただ肌を隠したり見せたりするものではなく、そのシーンを構成する重要な一部であり、衣装自体が表現の一つということになるだろう。
楽しい時間を過ごせた。

話は変わるけれど、昨日、外国人の生徒と話していて自分の中で目から鱗だった捉え方があったので、記しておこう。
私は、一般的日本人の例に漏れず、英語(で話すこと)が苦手だ。
話したい!
という気持ちはあるけど、いざ話そうと思うと、喉に魚の骨が引っかかったかのように、言葉が出てこない。
その彼女は、英語がネイティブだが日本語もとても上手。
そこで、昨日ふと
「英語を話す上で、どうしてもためらってしまう。一番大切なのは「発音」なんでしょう?」
と聞いてみると、彼女の返事は意外にもNOだった。
私は、発音に気を取られて、通じなかったらどうしようという不安感が大きかったのだけれど、
彼女いわく
「だって、国が違えば、同じ単語でも発音訛ってて、違うじゃん」
ということらしい。
これは私にとっては衝撃的な言葉だった。
確かに!
アジア圏に行けば、現地の人は、その母国語訛りの英語を話している。
イギリス英語もあるし、オーストラリア英語もあるし、ましてや中東に行った際なんか顕著に訛っている。
でも、話している。
だから、発音を(そんなに)気にしなくてもいいんだ。
発音を意識しすぎてブレーキがかかる日本人は多そうだ。
いやぁー、楽になった。
そして、
「間違えることを恐れてはいけない」
と。
「間違えたことは、忘れず覚えるでしょ」
ということだった。
確かに!
私だって、レッスン中に同じことをみんなに言っている気がする。
自己反省、そしてまたチャレンジしていこう。
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